2011年11月20日日曜日

一票の格差考:選挙制度と政党政治

一票の格差に注目が集まっているが、一票の格差を生む構造的欠陥には2種類あると思う。
以下、政治の専門家でも何でも無いが、個人的な問題意識に基づいて、個人的な感想、意見を述べたい。


■一つは、各選挙区の有権者数の違いから来るもので、行政単位と選挙区が未分化な為に生じる地域格差。
例えば、仮に有権者10万人に一人の議員を選出する選挙区(地方)と100万人に一人しか議員を選出できない選挙区(都会)とでは、有権者の一票の価値に格差が出る(この例の場合、10倍)。
これでは国民全体の代表でなく、地域の代表に矮小化されてしまっている(国会は、全国民を代表する正当な選挙で選ばれた国会議員で構成される)。
地方の代表なら地方議員で十分ではないのか、という疑問もあり得るだろう。
国会は国民の代表(国会議員)による多数決だから、10万人の代表と100万人の代表が同じ扱いになり、事実上、多数決(民主主義)が機能していない。

日本は、人口の約半分(49.6%、6,337万人)が三大都市圏に集中している(2005年総務省データ)。
一方で、名目GDPに占める農林水産業の割合はたったの1.5%に過ぎない(2008年総務省データ)。
日本経済のたった1.5%しか占めない農林水産業が多い地方に住む有権者が日本政治の決定権を握り、都市に住む有権者の声は不当に低い扱いを受けている。

一人一票実現国民会議
政府統計の総合窓口


■二つ目は、選挙制度(小選挙区制)の欠陥によるもの。
個人的には上記の地域格差より、こちらの格差に関心がある。
その欠陥が最も顕著に現れるのが、得票率と得票順位をすり替える勝者の総取り制ともいえる小選挙区制。

何が問題かと言えば、得票率と議席獲得率が乖離する為、当選者の得票率以上の議席獲得率(議席)を与えてしまうこと。
逆に落選者は、得票率未満の議席獲得率(議席)になってしまう。
ギャンブルじゃあるまいし、勝者(得票順位1位)の総取り制が民主主義と言えるのか疑問である。
1党独裁政治を民主主義に巧妙に捻じ込むトリックに見えなくもない。

例えば、小選挙区(定数1名)で有効投票の45%の得票率で当選すれば、定数1議席獲得(議席獲得率100%)。
(全有権者数に対する得票率と有効投票数に対する得票率とあるが、ここでは問題の本質を単純化して分かり易くする為問わない。以下同じ)
45%の得票しかないのに100%の議席(定数1議席)を与える事になる(レバレッジ=歪曲効果は2.222倍=1÷0.45=122%)。
逆に35%の得票で落選した候補の議席(議席獲得率)は当然0議席(0%)だから、レバレッジは0倍(0÷0.35)=-100%。
この落選候補への投票は全て死票となり、民意は議会に反映することなく切捨てられる。

このケースのように過半数(50%)にも満たない得票率の候補者が比較優位という事で当選してしまう問題もある(小選挙区の法定得票数は有効得票総数の1/6に過ぎない)。
過半数の得票率の候補者がいない場合、フランスの小選挙区2回投票制のように決選投票するなら正当性は高まるが、日本はそんな面倒なことはやっていない(小選挙区制なら決戦投票は必須だと思う)。
有効投票数の過半数の得票も得られない候補者が議席を独占(定数1=議席獲得率100%)する正当性は無い。
過半数の得票があれば、何がしかの正当性はあるだろうが、死票の多さと民意の多様性との矛盾を考えても問題が大きい。

こうした小選挙区制の結果として、議会全体でも非常に偏った政党議席配分になり易い(政治学的には3乗法則というものがあるらしい)。
第一党は得票率以上に議席を獲得し、逆に下位の政党は得票率以下の議席しか獲得できない。
得票差と議席差が一致しない(正比例しない。3次関数的歪曲)。

具体的に2009年度の衆議院選挙結果(小選挙区)を見ると、第一党の民主党は47.43%(3348万票)の得票率で73.7%の議席を獲得している。
レバレッジは、1.55倍(=73.7%÷47.43%)。
得票してもいない票が55%(=1.55-1)も水増しされたに等しい。
第二党の自由民主党は、38.68%(2730万票)の得票率で21.3%の議席獲得率。
レバレッジは、0.55倍(=21.3%÷38.68%)。
得票したはずの45%(=0.55-1)が数えられずに廃棄されたに等しい。
第三党以下は、さらにマイナスのレバレッジ効果が強くなる。

つまり、下位の政党の得票(議席)の一部が、なぜか第一党の得票(議席)に勝手に振り分けられるに等しい。
各政党の議席獲得率の合計は当然100%なのだから、第一党のレバレッジ効果で水増しされた議席獲得率分を下位政党の議席獲得率から余計に奪っているのと同義である。
事実、上記衆議院選挙で第三党だった共産党の得票率(小選挙区)は4.22%(298万票)だったが、獲得議席は0である(議席獲得率0%)。
得票298万票全てが無効扱いにされたも同然だ(レバレッジ0倍=-100%)。
共産党が本来得るべき議席は、民主党の水増し議席分に回されたに等しい。
これが正当で公正な選挙と呼べるのか。
単なる不公正選挙、不平等選挙、有権者への背信、選挙詐欺、政治犯罪ではないか。

私は、小選挙区制を民意にレバレッジ(梃の原理)をかけて議会を歪ませる政治的デリバティブ、政治的先物取引と勝手に呼んでいる。
有権者の一部の負託(実際の得票=委託証拠金?)でその何倍もの政治権力(議席)を振るうのだから、我ながら的外れな比喩ではないだろう。
しかも第一党の水増し議席分は下位の政党から補充されるのだから、先物の差金決済みたいである。
しかし、これを政治的に正当化する理論はあるのだろうか。
あると称するなら国民を愚弄する嘘デタラメか間違った政治理論と思われる。
FXや商品先物取引ですらレベレッジ規制がかかっているのに政治のレバレッジには何の規制もない。


■小選挙区・二大政党制についても個人的な感想を述べたい。
選挙区と政党制は別問題だが、無関係でも無い。
2大政党制にしたければ、各選挙区の当選枠を1名(単純小選挙区)にすれば良い。
3大政党制にしたければ当選2名枠の選挙区。
要するに、選挙区の定数+1党制になるそうだ。

日本は英米の猿真似で小選挙区・二大政党制を採っている。
民意を歪める小選挙区・二大政党制は、政治が荒っぽくなると感じる。
戦争ばかりしている国(英米)が小選挙区・二大政党制なのも偶然では無いだろう。
二大政党制は、英米のようにイデオロギー対立の小さい国に適しているらしい。
また、小選挙区・二大政党制を続けることにより、逆に政策の違い(選択の幅)を縮小させている面もあるらしい。
別の言い方をすれば、特定のイデオロギーにはじめから偏った保守的な国、あるいは権力と癒着したマスゴミによる洗脳、マインドコントロールが徹底した国とも言える。
確かに冷戦もとっくに終了し、いまさらイデオロギー対立の時代でも無い。
しかし、イデオロギー対立が下火になったとは言え、政策の対立軸が消滅した訳でもない。

多数者(衆愚)の横暴も懸念される。
必ずしも多数=真、多数=善、多数=美であるとは限らない。
むしろ、現実には逆のことが多いのも事実。
真理は常に少数者から広まる。
理性の声は常に少数者のものである。
少数意見の切捨て=民意の集約ではない。民意の無視でしかない。
欠陥のある選挙制度で少数意見を切捨て歪められた議会が、本来の民意と巧妙にすり替えられて行く事は、民主主義の否定、政治的ペテン、国民の愚弄に思える。

現代のように国民の価値観も多様化し経済や社会もますます高度化、複雑化して行く中で、果たして二大政党制で適切に対応して行けるのか疑問もある。
事実、日本にはグリーンピースのような環境政党も無い。
福島原発事故が起きても自民党も民主党も原発推進で凝り固まっている。
これが民意なのか、これが正しい選択なのか強い疑念が残る。

さらに小選挙区・二大政党制の問題点として、マスゴミによる干渉が容易ではないか、との個人的疑念がある。
時代遅れの一方通行マスメディアを不当に独占する優越的地位を濫用して扇動しまくり、国民の価値観や行動など自由権の行使に干渉し、前近代的な中間支配勢力気取りで不当な私的支配をするマスゴミの情報操作、世論工作に対して二大政党制は脆いのではないか。
有権者の現実的な選択肢が二つしか無いのだから、イメージ操作や世論工作も多党制に比べて容易だろう。


全国区&比例代表制にすれば、上記して来た歪みは一発で解消される。
実は日本でも昔は、全国区(大選挙区制)を敷いていた時代もあったらしい。
大選挙区制のデメリットなるものは現在の技術の進歩や工夫などで、ある程度解決可能ではないか。
小選挙区制では政治が安定するが、比例代表制は小党乱立して政治が不安定化するというプロパガンダは、政治学的にも否定されている。
つまり、いつものマスゴミによる嘘デタラメ、間違い、愚民化世論工作に過ぎない(悪質な嘘であり、報道法を制定して禁止すべき)。

中選挙区制は小選挙区制同様、選挙区割りをめぐって国民に不透明な政治的恣意が働き、根本的な解決にはならない(過去には米のゲリマンダーとか日本のカクマンダーとかもある)。

柄谷行人が提案した、候補者の選挙でなく、国民から籤引で代表を選ぶ方法も常識と思い込まされている現在の選挙制度を相対化して認識する事で問題点をあぶりだす事ができ、有益なアイディアだと思う。
実際、裁判員制度がそうだろう。
直接、国民から籤引きで選ばなくても、政党が責任を持って推す候補者から抽選で当選者を選ぶという選挙制度も考えられるだろう。

現代は統計とマーケティングの時代である。
選挙制度も統計やマーケティングを活かせば、もっと改良の余地があるのではないか。
国会や委員会などでの意思決定も多変量解析など統計学的処理を導入して効率化できる部分もあると思う。
いつまでも政局やマスゴミの不法な干渉に頼っていては能が無さ過ぎる。

国民が自覚的に民度を高め積極的に声を上げていかないと、この国の歪みは正されるどころか益々酷くなるだろう。
政治家と御用学者とマスゴミに丸投げして来た積年のツケが近年一機に噴出して来ているように思える。
日本は、何重にも塗り重ねられた嘘や様々な歪みで奇形民主主義国家、偽装民主主義国家となってしまっている。
真善美を兼ね備えた真性の民主主義国家に矯正する必要がある。

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