2012年5月30日水曜日

格差考

この手の不毛な論争には飽きた。
格差の不満なんて相対的なものだろう。

今、貧乏でも相対的に生活向上(成長)を実感できるなら社会問題にはならない(途上国の人々は活き活きと暮らしている)。
逆に中流の暮らしをしていても相対的に生活向上(成長)を実感できなければ不満は溜まる(今の日本や欧米など)。
また、米のように格差の大きい社会でも次々にチャンスが生まれて新たな成功者が出続ける社会では、やはり格差への許容度はある程度あるのではないか。
逆に格差は大きくないが、妬みと僻みとルサンチマンの塊のようなマスゴミ(特に朝日新聞とか)が新興の成功者を一瞬囃し立てたかと思うと次の瞬間、猛烈なバッシング(組織的人権侵害行為、報道犯罪)で引きずり降ろすようなマスゴミ恐怖支配社会では、少しの格差に過敏になり経済を沈滞化させる(報道法の制定が急務)。

マスゴミが格差を固定的、静態的なものとして扇動するから議論も不毛になる。
つまり、相対的格差、流動的格差(自由と多様性の許容範囲内)と悪性の絶対的格差、固定的格差(前近代的な階層社会化)を曖昧未分化に混同している。
真に憂慮すべきなのは、格差の再生産、親の格差が子の格差に直結するような前近代的な階層社会、擬似身分制みたいな社会への退化である。
行政府が介入すべきなのは、絶対的格差の回避と格差の流動化ではないのか。

※元記事
自由は経済的格差を拡大させるのか? - wasting time?

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