2012年6月29日金曜日

文化⊃教育⊃学校

この記事(※)に詳しい内容が書いてないので断定は出来ないが、何となくいつもの浅薄で的外れな思いつきで、また大失敗しそうな愚策の予感しかしないな(嘲笑)。
そもそも、教員のレベルは今そんなに低いのか?
修士過程でいったい何をさらに学ぶ必要があるのか?
現場で教師としての実務経験を積む方がマシだと思うが。
さらに専門分化して、ますます視野狭窄の専門バカになる可能性だってあるだろう。
そういう人間が子供の教師として、本当にふさわしいのか極めて疑問である。

日本は知的文化が貧困だから、学校万能主義を幼稚に崇拝しているようだが、欧米の猿真似&追従していれば良かったキャッチアップ時代のナイーブな学歴神話の悪臭がする。
創造性や主体性が求められる時代には、規格化された大量生産品=中級品、消耗品≠資産を生み出すような学校教育の限界を見極めて、より大胆な教育ビジョンを打ち立てる必要があるのではないか。

そもそも教育とその目的とは何なのかから始まり、その教育主体、つまり、学校に留まらず、家庭教育(親、親族)、社会教育(社会、地域)、職業教育(会社など)、個人教育(独学や生涯教育)等々と重層的に教育を分化、体系化すべきと思われる。
また、教育とは受動的なイメージがあるが、学習とは能動的、主体的なものであるはず。
教育と学習の二系統両面から体系化すべきである。
これは哲学=世界観に通じる。
その意味では、表題に『文化⊃教育⊃学校』と書いたが、教育/学習の二元論的世界観にまで到達し得るかも知れない(少し大げさだが)。
ともかく、無機的で無味乾燥な知識の詰め込みでなく、日本人の知的文化全体の底上げのようなものが必要と思われる。

マスゴミは単純で短絡的で発想が貧しいせいか、何でもかんでも曖昧未分化に混同して学校で教育しろと馬鹿の一つ覚えのようにすぐ喚く。
例えば、宗教や道徳などは本来、学校などの「公」教育ではなく、家庭での「私」教育や躾の問題だと思うが、全て学校教育のせいにしたりする風潮など典型だ(一種の育児放棄、責任転嫁)。

教育の目的は、究極的には個人の知的・精神的・社会的・経済的・政治的自律にあると思う。
しかし、自民党政権時代、これとは全く逆行するように国家や権威、権力、大企業から自律させない為の愚民化洗脳(教育とは呼べない)に退化したように見える。

※元記事
教員レベルの向上のため、修士課程の履修を義務付けるアイデア、どう思う?

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